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YOSHIKI(X japan)の数々の伝説をご紹介

今や世界で活躍する日本が誇るビジュアル系バンド「X japan」。ドラムでリーダー、ロック界のカリスマ的存在であるYOSHIKI

年末年始に、X japanドキュメンタリー映画『WE ARE X』Blu-ray/DVDが12月13日に発売)のプロモーションを兼ねて、約8年ぶりにトークバラエティに出演すると、ファンのみならず、番組視聴者までもが、YOSHIKIの人柄に好感しネットで話題に!

そんなカリスマ的存在のYOSHIKIの魅力と、ファンの間で語り継がれる数々の伝説をご紹介します!

YOSHIKIの生い立ち

本名、林佳樹 身長175cm

・1965年11月20日、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭に2人兄弟の長男として生まれる。父はジャズ・ピアノ、プロのタップ・ダンサーであり、YOSHIKIが4歳の時、父にピアノを買ってもらいクラシックピアノを習い始める。

・10歳の時父が他界。その悲しみと怒りから、偶然レコード屋で目にしたアメリカのロックバンド「KISS」に魅了し、ロックを聞き出す。(それまではクラシックしか聞いていなかった)

・11歳の時に母にドラムセットを買ってもらう。11歳で初めて幼馴染のToshi(当時はギターらとバンドを結成。

・高校2年生の時にToshiがボーカルに転向し、他校の生徒らとバンド「X」を結成。

・高校卒業後、本格的にバンド活動を行うためにToshlと共に上京する。

YOSHIKIX JAPANの数々の伝説

X japan(当時はX)のインディーズ時代、火を噴く過激なパフォーマンスで数々のライブハウスから出禁を喰らう。

●当時、打ち上げでもケンカが絶えず、渋谷の居酒屋では、「Xお断り」と名指しで張り出された店もある。

●「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」という考えから「知名度が必要」と判断し、天才・たけしの元気が出るテレビ!!の「ヘビメタコーナー」に出演。当時、硬派なイメージを保つロック界のタブーを破り、バラエティ番組に出演したことが、業界関係者や他のバンドから、「ヘヴィメタルをお笑いネタにされた」として厄介者のレッテルを貼られる。(当時の名前はゲイリー・ヨシキ

●テレビ出演をきっかけにXは知名度が全国区へと広まり、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代にミュージック・ビデオを客に配布。

YOSHIKIは1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。1988年に同社よりリリースしたXの1作目のアルバム『Vanishing Vision』は、発売1週間で、当時としては異例の初回プレス分1万枚を完売。オリコンの週間チャートで最高19位を記録し、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートに初めてランクインしたアルバムとなる。ちなみに、『Vanishing Vision』は、メジャー・レーベルから発売される可能性もあったが、YOSHIKIが、「インディーズでまだ何も残していない」として、あえてエクスタシーレコードからリリースした。

●1989年にXの2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャー・デビュー。当時、トップレベルのロックバンドですら10万枚の売上で大ヒットだった中、1989年だけで異例の60万枚のセールスを記録!年末には日本有線大賞の最優秀新人賞、全日本有線放送大賞の最優秀新人賞、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞。

●1991年3作目のアルバム『Jealousy』をリリースし、オリコンチャート1位を記録する。前作同様、60万枚以上を売り上げチャートイン50週を記録し、ミリオンセラーとなる。また、同年の大みそかには『第42回NHK紅白歌合戦』に初出場。

●1991年、ファンの間では有名なカレー事件。翌年1月のドームツアーのリハーサル中、マネージャーにお願いしていたいつものカレー屋さんのカレーが、一口食べただけで激辛過ぎたという理由で、リハーサルをやらずに激怒して帰る。また、別で、「シャワーが熱すぎて激怒して帰った」ということもある(笑)そして、13年後の2004年に、当時の事件を再現したまさかのレトルトカレー「『YOSHIKI 伝説』YOSHIKIカレー<キレ辛>」がファミリーマートでの受注限定で発売される。

代表曲Xのサビの部分でファンにはお馴染みのXジャンプをやるのが定番だが、東京ドームライブで近隣から揺れるとのクレームが多いとの理由からXジャンプ禁止となる。現在は東京ドーム側からライブ自体の許可が降りない。

●1992年1月5、6、7日に、日本人アーティストとして初となる東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催し、延べ12万人を動員。同年、小室哲哉とのユニット、V2を結成し、シングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」をリリース。また、年末に行われた『第43回NHK紅白歌合戦』の全出場歌手で歌う合唱曲「TEARS〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、会場のパイプオルガンで伴奏。(翌年にX JAPANのシングル「Tears」としてリメイクされる)

●1993年に3作目のアルバム『Jealousy』に収録できなかった1曲30分の大作、「ART OF LIFE」をリリース。また同年、TBS系で10月から放送されたドラマ『徹底的に愛は…』の主題歌としてNOAのシングル「今を抱きしめて」をプロデュースし、第36回日本レコード大賞で優秀賞を受賞。

●1996年11月に最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』がリリース。しかし5年4ヶ月もの歳月を掛けたにも関わらず、アルバム発売以前に全10曲中6曲がシングルリリースされる。

●1997年4月にToshlがX JAPANを脱退…。同年9月に都ホテル東京で記者会見を開き、X JAPANの解散を発表する。その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。Toshlも参加して、1997年12月31日に東京ドームで『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、コンサート終了後に出演した『第48回NHK紅白歌合戦』のステージで幕引きとなった。

●1998年5月2日にHIDEが急逝…。YOSHIKIと公私共に深い信頼関係にあったHIDEの死去が自身に与えた精神的なダメージが大きかったため、表立った音楽活動をほとんど行わなくなる。この時期、亡きHIDEを想いYOSHIKIが捧げた鎮魂歌が「Without you」である。

●1999年11月に、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』の奉祝曲の制作依頼を受け、皇居前広場で行われた式典で自身が作曲したピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏。この時に受けた歓声が再起の契機となる。

●2007年公開のアメリカ映画『ソウ4』の主題歌に、Toshlとの約8年ぶりの再会をきっかけに再結成に向けて動き出していたX JAPANの楽曲「I.V.」が使用される。この曲のミュージック・ビデオでは『HIDEも世界に連れて行く』という意味を込めてHIDEのステージ・ポジションにマイク・スタンドとギターが設置されている。また、Toshlとの再会のきっかけとなった楽曲は、亡きHIDEを想いYOSHIKIが捧げた「Without you」である。

●2008年、3月28日~30日に、東京ドームで3日間のX JAPAN再結成コンサートを行う。初日の28日は、機材トラブルにより開演が2時間遅れ、さらにアンコールで「ART OF LIFE」を演奏中、YOSHIKIが失神しそのまま終演となる波乱の幕開け。だが、3日間のツアーをこなした。

●2009年1月16-17日に、香港で初めての海外公演し、2日間で2万人を動員。同年、5月には台湾公演も成功させたが、その後、YOSHIKIの持病である頸椎椎間板ヘルニアの手術に伴い10月のパリ公演は延期となる。

●2010年の8月6日~8日にかけてアメリカ・シカゴで行われたロック・フェスティバル『ロラパルーザ』のメイン・ステージに出演。8月14~15日の横浜公演では、元メンバーのTAIJIが中盤でスペシャル・ゲストとして参加し、1992年の東京ドーム公演以来、18年ぶりに共演が実現し、ステージ終了後にはYOSHIKIラメンバーと熱い抱擁をかわす。また、同年10月にワールドツアーの一環である北米ツアーをも完遂する。

●2011年6月からロンドン、パリを含む4大都市ヨーロッパツアーを成功させるが、7月に元メンバーのTAIJIが急逝…。またYOSHIKIらメンバーは深く悲しむ…。

●2012年、ハリウッド外国人映画記者協会からYOSHIKIに、ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、制作した楽曲「ゴールデングローブのテーマ」が第69回ゴールデングローブ賞の授賞式から使用される。

●2014年9月30日、10月1日の2日間、横浜アリーナのワンマンライブを行う。2日間で2万2千枚用意されたチケットは1秒でソールドアウトし話題に。
●2014年10月12日、“世界で最も有名なアリーナ”としても知られる、米ニューヨークのマディソン・スクウェアガーデンで、日本人アーティスト初の単独コンサートを開催。
●2015年11月、宮城県石巻市のライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」にて、東日本大震災復興支援チャリティーライブを行う。
150人限定のプレミアムチケットの内、75枚は石巻市住民を対象に無料招待。残り半分は、ヤフオクでチャリティーオークションに出品。最高落札額は120万円以上になる。
オークション落札総額は2828万9358円にのぼり、中央共同募金会を通じて全額寄付。東北被災地の子どもたちの支援に充てられる。
ちなみにこのライブの模様は、石巻市総合体育館でパブリックビューイングやニコ生で生中継された。
●2016年、ドキュメンタリー映画『We Are X』が、第32回サンダンス映画祭ワールドシネマドキュメンタリー部門にノミネートされ、最優秀編集賞を受賞。同年3月には、アメリカのSXSW2016で観客賞を受賞。
●2017年1月、米ニューヨークのクラシックの殿堂「カーネギーホール」でYOSHIKIのソロ活動でクラシック公演を開催。チケットは完売し、2日間で5600人を動員。2014年にはX JAPANとしてロックの殿堂マディソン・スクエア・ガーデン公演を成功させており、アジア人では初めて米国のロックとクラシックの2大殿堂を制覇した。
●2017年3月3日、ドキュメンタリー映画『We Are X』日本公開。4日にイギリス、ロンドンのウェンブリー・アリーナ公演を成功させる。しかし、同年5月、ヨシキが頚椎人工椎間板置換の緊急手術を行い、7月のジャパンツアーはX JAPAN初の前編ドラム無しのアコースティックライヴを行う。

2017~2018年年末年始のテレビ出演でのYOSHIKIの快挙

●「しゃべくり007」にトークバラエティに約8年ぶりに出演し、異例の高視聴率(16.6%、YOSHIKI登場中には21.6%)という平日夜の番組として記録的な数字をマーク。

紅白歌合戦は、40%に届かない歴代ワースト3位という視聴率だったが、YOSHIKIX japan登場中には、40.4%まで跳ね上げた。キッカケは、YOSHIKIの9ヶ月ぶりのドラム復活だった。

●2018年正月、「芸能人格付けチェック!これぞ真の一流品だ!2018お正月スペシャ」にGACKTとコンビを組んで出演。GACKTと共に全問正解し、一流振りを発揮し視聴者から大絶賛。さらに番組中にYOSHIKIが大量に食べていたお菓子が、ネット上で話題にもなり、そのお菓子が銀座あけぼの」の「チーズおかきだと特定されると、売り切れ続出の事態になる。ちなみに番組平均視聴率は、前年を上回る19.6%を記録した。

●2018年1月、マツコの知らない世界新春2時間SPに出演。マツコ・デラックスとの初共演も話題となり、こちらも番組平均視聴率が13.5%、そしてYOSHIKI登場中には最高15.9%を記録。この番組で、YOSHIKIの生い立ちから、X japanの結成、Toshlの洗脳問題、解散、再会秘話などを語り、視聴者に高感度を上げ、番組終了後に、アマゾンでドキュメンタリー映画『We Are X』のBlu-ray/DVDが品薄状態になる。

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